従業員への健康投資を経営の視点でとらえる「健康経営」は、近年多くの企業で当たり前になりつつあります。その中核に位置づけたいのが、社会人が自ら食を選ぶ力を高める「大人の食育」。栄養バランスのよい食事は集中力・判断力・気分を安定させ、プレゼンティーズム(不調のまま出社して生産性が下がっている状態)やアブセンティーズム(病気で欠席している状態)を抑えることに直結します。
本稿では、健康経営と大人の食育の親和性、職場での実践例、効果測定(KPI)と制度連携までをまとめます。
食とプレゼンティーズム&アブセンティーズム
プレゼンティーズム
健康問題により欠勤はしていないが、生産性が低下している状態
→食事内容による眠気や体調の変化、思考の鈍化など
アブセンティーズム
心身の不調により遅刻・早退・休業など、実際に仕事を休んでいる状態
→病気は日頃の食生活が大きく関与していることも多い
なぜ“食”が生産性と直結するのか
血糖値の乱高下や慢性的な野菜不足・過剰な塩分・脂質は、午後の眠気、思考の鈍化、頭痛などの不調に波及しやすく、集中力や判断力の低下につながります。逆に、主食・主菜・副菜のバランスと、旬の食材を意識した食生活は、エネルギーの持続と気分の安定をもたらし、業務パフォーマンスの底上げに寄与します。

食事と業務パフォーマンスの関係
従業員の食生活と、生産性の関係を詳しく見ていきましょう。
食事と生産性には、密接な関わりがあります。食事の質が日々の集中力や体調に影響を与えることは、さまざまな研究や国の政策でも指摘されています。ここでは具体的なポイントを整理してみましょう。
血糖値の急上昇
高GI食品(白米や菓子パン、砂糖入り飲料など)を多く摂取すると、血糖値が急激に上昇します。その後インスリンの過剰分泌で血糖が急降下し、強い眠気や集中力の低下を招きます。いわゆる「血糖値スパイク」です。特に昼食後の午後はパフォーマンス低下が顕著になりやすく、業務効率に直結します。
免疫力の低下
慢性的な野菜不足や栄養バランスの乱れは、ビタミン・ミネラル・食物繊維の不足をもたらします。これにより免疫力が低下し、風邪や感染症にかかりやすくなり、欠勤や休養につながります。これは直接的にアブセンティーズム(病欠による労働損失)を引き起こす要因です。
眠気と思考の鈍化
昼食で油分や糖質に偏った食事を摂ると、消化にエネルギーが取られて脳への血流が減少し、眠気や思考の鈍化が生じやすくなります。午後の会議や集中作業でミスが増えるのも、この影響が大きいと考えられています。
頭痛・倦怠感
塩分や脂質を多く含む加工食品や外食を続けると、高血圧や血流の滞りを招き、頭痛や倦怠感として現れることがあります。軽度であっても繰り返されることで、従業員のパフォーマンスを日常的に押し下げます。
ストレス耐性の低下・様々な不調の温床
栄養バランスの乱れは、メンタルヘルスにも波及します。トリプトファンやビタミンB群の不足は気分の落ち込みを誘発しやすく、慢性的な疲労感やストレス耐性の低下につながります。また、食物繊維不足は腸内環境を悪化させ、体全体の不調の温床になります。
従業員の食生活がどう変わればよいのか?
では具体的に、従業員の食生活が、どう変われば良いのでしょうか。
総じて言えるのは、「野菜が足りていないこと」が多くの不調の根底にあるということです。厚生労働省の「健康日本21」でも、成人が摂るべき野菜の目標量を1日350gとしていますが、実際の平均摂取量は依然として不足しています。つまり、職場での食環境を整え、日常的に野菜やバランスの良い食事を選べる仕組みやきっかけ・機会をつくることが、社員の集中力・免疫力・生産性を高める第一歩となるのです。
主食・主菜・副菜を揃えたバランス食を意識することで、エネルギー供給が安定し、午後も眠気に左右されにくくなります。さらに、旬の食材を取り入れることは栄養価の高い食事につながるだけでなく、季節感を通じて社員の気分をリフレッシュさせ、心理的ウェルビーイングの向上にも寄与します。

このように、「何を、どのように食べるか」という日常的な選択が、社員一人ひとりの集中力や判断力に直結し、ひいては企業全体のパフォーマンスを底上げする戦略的投資となるのです。
健康日本21(第三次)が掲げる「食」の目標値
厚生労働省が進める「健康日本21(第三次)」では、国民の健康寿命延伸のために、食生活に関する明確な数値目標が定められています。主なポイントは以下の通りです。
参考:厚生労働省 健康日本21(第3次)概要(PDF)
参考:厚生労働省「国民健康・栄養調査(令和5年)」
参考:農林水産省「第3次食育推進基本計画」
野菜摂取量
厚生労働省「国民健康・栄養調査」によれば、成人の野菜摂取量は平均260g前後にとどまっており(令和5年・20歳以上の平均野菜摂取量は256.0g)、健康日本21で掲げる目標値350gには届いていません。特に働き盛り世代の改善が課題とされています。
減塩(食塩摂取量)
成人1人あたり 1日7.0g未満 を目標。高血圧や循環器疾患の予防に直結するため、食環境での減塩支援が推奨されています。
朝食の欠食率
生活習慣病予防や学習・業務パフォーマンスの維持に直結するため、朝食習慣の定着が重視されています。特に20代~30代の若い世代の朝食欠食が問題視され、20〜39歳で朝食欠食率約24.7% →これを 15%以下 に目標を定めています。
健康経営と「大人の食育」の親和性
前項の数値は、いずれも企業での「大人の食育」の推進と直結します。職場の食環境を整備し、野菜摂取・減塩・朝食習慣を支援することは、従業員の健康維持だけでなく、生産性や集中力の向上に直結するのです。
- 戦略性:経営課題(人材定着・生産性)の解決に直結。食は日次で介入でき、万人が取り組みやすい健康づくり領域。
- 再現性:社員食堂メニューの表示、社内での野菜の購入機会の提供など、仕組みとして全社展開が可能。
- 制度連携:健康経営優良法人の取り組み(栄養・食生活)と自然に重なり、食育実践優良法人とも相乗効果が得られる。
職場で取り組む実践例(すぐ始められる順)
①情報を見える化しよう
社員食堂・社内販売・弁当で、主食/主菜/副菜のピクト表示、野菜量(g)、塩分相当量を掲示など。(食堂が社内にある場合の施策)
②オフィスでの野菜の購入機会をつくる
社内で健康的な食べ物のマルシェを行ったり、野菜BOXの定期便、置き野菜や置き惣菜で野菜摂取の環境整備をする。
③楽しく食育知識を知れるミニイベントを行う
旬の野菜や季節テーマのミニセミナーを企画し、知る・考えるきっかけや機会をつくる。テーマは「減塩」「朝食欠食」「野菜摂取」などがおすすめ。
④食を知れるワークショップや体験イベントの実施
管理栄養士や保健師など有資格者によるラベル読み解き講座、オンラインでの料理教室開催、農家訪問で収穫体験など。
そしてこまめに食の情報発信をすることで、社内へ定着が進んでいきます。
KPIと効果測定(ROIの見える化)
食の取り組みは「やって終わり」にせず、KPIを定点観測して改善に回すのが肝です。
- リーチ:イベント参加率、利用者数(ユニーク人数/月)
- 行動:野菜メニューの選択率、減塩メニューの比率、栄養表示の閲覧率(QR計測)
- 意識:月次アンケート(食に関する自己効力感・食リテラシー・食施策の満足度やウェルビーイング調査)
「参加→行動→意識→成果」を可視化し、経営会議に定例報告することで、健康投資の妥当性(ROI)を説明できます。

制度と連携:健康経営優良法人 × 食育実践優良法人
健康経営優良法人(経済産業省)は、経営課題と健康施策をつなぐ枠組みとして定着しています。2025年度からは、農林水産省の「食育実践優良法人」が創設され、“大人の食育”の推進体制・実践・効果測定・発信が評価されます。
両制度は対象や評価観点が重なる部分が多く、食のKPI(野菜摂取・減塩・表示・教育・体験)を整えることで、双方の申請資料に活用できます。年次計画では、初年度はまずは上期=基盤整備/下期=効果測定・申請準備の流れが現実的です。
まとめ
大人の食育は、健康経営の「実務エンジン」です。職場に“選べる環境”をつくれば、無理なく日々の行動が変わり、集中力・生産性・ウェルビーイングの好循環が生まれます。制度面でも、健康経営優良法人と食育実践優良法人の両輪で取り組めば、社内外への説明力が高まり、企業価値の向上につながります。
